むじゃき

なんでもかんでもアウトプット 一日一新 抽象化する思考

なんでもかんでもアウトプット

割と苦しみながらも楽しみながらも、こうやってブログを更新し続ける日々。

 

ここまで継続しているのは、私の中でも珍しい。

 

「なんでもかんでもアウトプット」というコンセプトで続けてきた。

どうやら、今までブログには何かテーマがなければならないと思っていたけれども、

自分がしたかったのは、ただ単にアウトプットしたい場が

ほしかっただけなのだと感じる。

 

そんな中、自分にとって「アウトプット」を考えてみたので、

アウトプットすることにする。

 

 

アウトプットとは?

本を読んで、読書感想文を書く。
資材を用意して、建物を建てる。
式にXを代入して、Yを得る。

 

どれも、インプットがあってアウトプットがある図式。

 

ちょっと数式的に考えると、以下のようになる。

 

アウトプット = インプット + 「ブラックボックス

 

ここでいう、ブラックボックスは、なんでも入る謎の箱。
硬く言えば、インプットに付加価値を与える何か。

 

本というインプットに自分の考え・感情の揺れ動きを付けたして、
読書感想文というアウトプットができる。

 

資材というインプットに、人手や設計などの計画・実行を付け足して、
建物というアウトプットができる。

 

Xというインプットに、式による数学的処理を付け足して、
Yというアウトプットができる。

 

付け足すものが必ずしもプラスなものではないかもしれないけれども、
インプットに何かを付け足してアウトプットになる。

 

 

たろいものアウトプット

このブログにおいて、「ブラックボックス」は、私、たろいもであるから、

アウトプット = インプット + 「たろいも」

となると、「たろいも」はインプットに対して
何かを付け足すことが求められる。

 

それは、おそらく、「たろいもの主観的体験・発想」だと思う。

 

単なる情報提供は、正直、インプットのコピーでいい。
コピーはいまやコンピューターが得意とする分野である。

 

インプットに対して、
「たろいもだったらこう感じた」
「たろいもだったらこう使う」
という付け足しは、私にしかできないし、私がやらないと誰もやらない。

 

自分に対するアウトプット

そんな主観的なアウトプット。

 

インターネットに広く公開する必要があるのか。
はたまた頭の中に留めておけばいいじゃないか。
ざっくばらんに乱雑に書けばいいじゃないか。

 

思いつくだけでも、いろいろと意見はある。

 

誰のために書いているかっていうのは
最終的に自分のために書いている、に落ち着いた。

 

あの日あの時のたろいもの主観はこうだった。
この日この時のたろいもの主観はああだった。

 

主観は常に変わり続けているので、
この一瞬を形にしておかないと、忘れてしまう。

 

あとで読み返すから、ざっくばらんに書くと、
そのときの主観がわからなくなってしまう。

 

インターネットに公開しているのは、
いつでも自分が簡単にアクセスできるから。
(あとは、外に置くことで、責任ある表現になるからかな?)


ウェブログ、略してブログ。

何のログかと問われれば、それは、たろいものイベントログなのだ。(どーん

 

まとめ

なんかちょっといろいろ話が膨らみそうだったのを必死に留めた。

まだまだアウトプットが足りない。
頭の中の箱を綺麗にアウトプットできないー

 

コツコツ行こう。

 

以上、たろいもでした。