むじゃき

なんでもかんでもアウトプット 一日一新 抽象化する思考

たろいもが感じる、ボードゲームの楽しさ

ボードゲームを趣味にして、早6年くらい。

 

この調子だと飽きることがなさそう。
なんでここまで好きになったのだろう。
頭をひねってみた。

 

 

ボードゲームの楽しさ

対面で遊ぶ楽しさ

小学校や中学校のとき。
学校が終わって誰かの家に集まってテレビゲームをよくしていた。

その感覚がとても楽しい記憶として残っている。

それを私はボードゲームを通して、再確認しているのだ。

 

いろんな言葉でじゃれあって、
いろんな表情から探り合って、
いろんな感情を楽しむ。

 

優越感も、後悔も、楽しむ。
対面だから許されるコミュニケーションを楽しんでるんだろうなー。

 

ゲームごとの自分

ボードゲームにはテーマがある。
それもかなりお茶らけたテーマだ。
その中で自分はお茶らけたキャラクターを演じることができる。

 

度胸が命のピザ職人。
1歩がビビリな探検家。
ウホウホしか言わない原始人。
欲張りでいじわるなペンギン。
などなど。

 

そうか。
新しい自分に出会えるのも楽しさの1つかも。
これはこんなキャラクターかな、と考えて演じきるのも楽しい。

 

作者からの挑戦状

たしか、SAMURAIというボードゲームのルールにこんなのがある。

 

「1位が2人以上いる場合、このゲームの作者を勝者とする」

 

聞いた瞬間、笑い転げそうになった。
そうだ、このボードゲームの作者もボードゲーマーだ。

 

ボードゲームの作者はユーモアにあふれている。
特にスタートプレイヤーの決め方が面白い。

 

「最近、山に登ったことがあるプレイヤー」
「最近、幽霊を見たプレイヤー」

これを簡単にスルーしてはいけない。
作者はボードゲーマーに挑戦しているのだ。
「結局、じゃんけんかい?
残念だなー
ちゃんとスタートプレイヤーの決め方書いておいたのに」

 

ルールは、作者が
「これならゲームとして楽しいかもしれない」と生み出したものだ。

 

ボードゲーマーならその「楽しいかもしれない」ゲームのルールを
全力で楽しむのが、たろいも的マナーかな。

 

パーティゲームボードゲーム
駄目なゲームもボードゲーム
ガチなゲームもボードゲーム

 

それぞれの楽しさがあって、それにあった遊び方をするのが、たろいもは楽しい。

 

まとめ

たろいもの楽しさの根源は、中学時代の友人の家だということがわかった。

 

なるほどなるほど。
これはこれで、またボードゲーム会「むじゃき」に活かせそうな感覚。

 

楽しさの伝道師になりたい今日この頃であった。

 

以上、たろいもでした。