むじゃき

なんでもかんでもアウトプット 一日一新 抽象化する思考

抽象化する思考の方法論をアウトプットしてみる

本当に自分の思考法はやっかいである。
そのやっかいな思考の謎がまた1つ解けた。
今回はそれをアウトプットしてみる。
正直、まだ自分でも混乱しているが、なんだか凄く面白い気付きだ。

やまいもさんのブログ

ボードゲーム仲間のやまいもさんに私のブログに関する返答があった。

yamaimo.hatenablog.jp

実のところ、「抽象化」も「体系化」も、「帰納」という操作の一種でしかない。

確かに言葉から受け取る印象から、抽象化は論理の構造の1つに過ぎない。
凄く論理的な文章に納得すると、同時に違和感を覚えた。
自分の考える抽象化とは、何か少し異なっている。
おそらく言葉の定義的な問題だとは思うが・・・まだ頭の中で何かが唸っている。
しかし、読んだ時点では、その違和感をまだ言葉にできずにいた。

ゲーミフィケーションの構造

ゲーミフィケーションに関する本を読んだ。
ゲーミフィケーションとは、
ゲームの構造を他の分野に転用するという発想のマーケティングだと感じている。
書評のフリーライティングをしていたら、変な言葉が生まれた。

以下、その部分の引き抜き。

ライオンとチーターは良く似ている。
似ている点を列挙する。(類似の抽象化
似ている点を特徴として、ネコ科とまとめてみる (整理の体系化
では、人間にネコ科の特徴を当てはめてみる (仕組みの転用
猫耳やケモナーという新しい概念ができる。

書いてみて、はっと気付く。
これは、「林修の名言」と「オズボーンのチェックリスト法」に関連がありそうだと。

抽象化の方法

まず、林修の名言は以下のものである。
これはテレビ番組の中で、
子供の思考力を鍛えるのに必要な力として紹介されていた3つのこと。

類似・対比・因果

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

元々は、修辞学にもある一節らしい。

修辞学 - Wikipedia

修辞学についてはWikiを参照。これまた何やら深い。

ふと。

これは抽象化の方法論ではないだろうか。

おそらく、私の考える「抽象化」はこの3種類について解釈を拡大できる気がする。

解釈

前提条件として、物事が2つ必要。

類似の抽象化

共通点を探し出すこと。
AとBが似ている。
たとえば
ライオンとチーターは肉を食べるという点で似ている。

対比の抽象化

差異を探し出すこと。
AとBが異なる。
たとえば
ライオンとチーターは走る速度が異なる。

因果の抽象化

原因と結果の関係性を探し出すこと
AであればBである。
たとえば
ライオンが空腹に耐えられなくなったのであれば、チーターが襲われることもある。

具体化の方法

続いて、オズボーンのチェックリスト法は以下のものである。

ideakey.jp

1.転用
新しい使い道は?他分野へ適用はないか?
2.応用
似たものはないか?何かの真似はできないか?
3.変更
意味、色、働き、音、匂い、様式、型を変えれないか?
4.拡大
より大きく、強く、高く、長く、厚くできないか?
時間や頻度などかえれないか?
5.縮小
より小さく、軽く、弱く、短くできないか?
省略や分割できないか?何か減らすことができないか?
6.代用
人を、物を、材料を、素材を、製法を、動力を、場所を
代用できないか?
7.再利用
要素を、型を、配置を、順序を、因果を、ペースを変えたり
できないか?
8.逆転
反転、前後転、左右転、上下転、順番転、役割など転換して
みてらたどうか?
9.結合
合体したら?ブレンドしてみたら?
ユニットや目的を組み合わせたら?

これは、抽象化によって見えた共通点や差異、関係性を保ったまま、
その他の具体性を与える方法といえる。

ふと。

これは具体化の方法論ではないだろうか。
体系化の方法はまだ見つからない。

私の中で言葉にならなかった分野の話が、こうして方法論として落とし込むことができた。
この整理整頓し、枠を用意することを私は体系化と言っているのだろうか。

体系化にも方法論のようなものがありそうな気がする。
今はまだ何も思いつかないのは、体系化の経験が少ないからだろう。

要するに

私にとって抽象化というのは、
物事の類似・対比・因果から、物事から離れた「隠れた仕組み」を見つけ出すこと。

私にとって具体化というのは、
「隠れた仕組み」を用いて、物事に新しい視点を取り入れたり、
先を見据える上でのとっかかりにしたりすること。

私にとって体系化は整理整頓・・・らしい?

ゲーミフィケーションは、ゲームを抽象化し、 別の物事で具体化させることの一連を体系化した方法論。
ゲームに限らず、この抽象化→具体化→体系化という流れには、幅広い応用を感じる。

だが、謎が多い。
これを一般ではフレームワークと呼ぶのだろうか。
どんな体験も抽象化することができれば、他の物事で具体化できることになるのか。

また何かに気付くまで、脳みそにしまっておくことにしよう。

ブログ後記

因果の抽象化については、個人的に無理があるように思う。
今までこうした枠組みで抽象化を捉えたことがないからだろうか。
今後、思考が抽象化したら気にかけてみることにしよう。

1つ箱を開けたら、その箱より大きな箱がいくつか増えている。
レベルは上がっては来ているものの、選択肢が多すぎてどう手をつけていいのかがわからなくなる。
いったい自分の思考は何なんだ。

こんなアウトプットを読んでくれる人がいるのだろうか。
自分の当たり前が謎過ぎる。
でも、返答があるのは嬉しいものだ。

以上、たろいもでした。