読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

むじゃき

なんでもかんでもアウトプット 一日一新 抽象化する思考

クソゲーの楽しい遊び方を3つ考えてみる。

久しぶりに面白さを見いだせないボードゲーム、通称クソゲーを遊んだ。
早く終わってくれないかなと思うほどだった。
本当にひどい衝撃で、まさかアウトプットに至るまでになるとは。
だが、今回のアウトプットはそのクソゲーのレビューではない。
クソゲーだって、ボードゲーム
ゲームはつまらないが、楽しい遊び方を考えてみたので、アウトプットしてみる。

クソゲーとは?

クソゲーはどこから来るかわからない。

ふらっと目の前にやってきては、素知らぬパッケージで擬態をしている。
目の隅に入り、どんなゲームだろうと好奇心に胸を躍らせながら手に取ってみる。
購入し、パッケージを開け、少しだけ取っ掛りにくいルールを読み始める。
ルールを読み終え、少し想像と違った内容だが遊んでみればわかるだろう、と楽観する。

もうすでにクソゲーの罠に嵌ったとも知らずに。

いつかのタイミングにそのゲームを遊んでみる。
遊び始めて数巡後、どこか抜けたプレイ感に、思わずルールを再確認する。
しかし、そんな希望も虚しく、遊んでいたルールは正確だった。
さらに数巡後。言葉に詰まるような沈黙が訪れる。
どんなに頑張っても報われないランダム性。
早くこのときが去って欲しいと考えるほどの収束性の悪さ。(ゲームが終わりに向かう流れ
今どこで何が起きているのかさえ把握が難しいほどの処理の複雑さ
そして、ゲームが終わる直前くらいにはっきりと認識する。

これはクソゲーだ、と。

クソゲーはつまらない

まだクソゲーに出会ったことのないゲーマーの方は幸せである。
私は3つほどクソゲーに出会った。
クソゲーの基準は人それぞれであるため、ここで具体的なゲーム名を明記するのはやめておく。
だが、私が体験した3つは、万人がどう遊んだとしても総じて「つまらない」と評価するような代物だった。
ふと。
「つまらない」と評価したものの、そのボードゲームは「楽しくなかった」のだろうか。

つまらないは楽しくないではない

つまらないという単語の対義語は2つある。

「面白い」と「楽しい」である。
そして、クソゲーに対する「つまらない」は、面白いの対義語の「つまらない」である。

そのボードゲームのルールにつまらない原因があり、それは覆そうにない。
しかし、そのボードゲームの楽しさはまた別にある、と考えることができる。

それは「いかにしてこのボードゲームを楽しむのか」ということを考えることだ。

使い道のないツールはゴミと一緒である。
この手に取ったのも何かの縁。
つまらないというのをそのまま受け入れるには、買った自分が納得できない。

いかにして楽しむのか

クソゲーはすでにゲームがつまらないという存在である。
だから、ゲームの内容で楽しむことは難しい。
面白さも楽しさの一種だからだ。

では、どうやってクソゲーを楽しむのか。
例えとして、3つあげてみた。

最初にクソゲーであると伝える

世の中には面白いボードゲームが多い。
その面白さを再認識するため、クソゲーを遊んでみませんか?
怖いもの見たさで遊んでみたくなるだろう。
そして、このクソゲーに対してどう感じたかを話し合うことで、
協力ゲームの達成感に近い何かを手に入れることができるだろう。

このクソゲーがどうやったら面白くなるかを考える

ボードゲームの利点の1つとして、ローカルルールを作ることができる。
このクソゲーのルールに何かを足したり、引いたりして面白くできるのか。
ゲームの可能性は無限大である、というのを改めて確認することができるだろう。

外から見てわかる楽しさを演じる

いかにも楽しいボードゲームで遊んでいる、という雰囲気を出し、
誰が一番楽しそうにクソゲーを遊ぶことができるか、という盤外ルールを追加してみる。
笑顔を作れば自然と楽しくなるはずだ。

ブログ後記

本当に、先日遊んだゲームはクソゲーだった。。
とはいっても、ボードゲーム
その裏にはデザイナーがいる。
つまらない、と思ったときは、遊び方を間違えているんだろうなと考えるようにしている。

ビンゴゲームが結婚式2次会の定番であるように、
クソゲーにも時間、場所、人によって最適な遊び方がある、と信じている。

・・・・・・信じているが、クソゲーに出会うとその心が折れそうになる。

以上、たろいもでした。