抽象化する思考とディープラーニング
ふとしたきっかけで、最近の人工知能について調べてみた。
その中で、以下の本を手に取り、その内容に衝撃を受けた。
- 作者: 松尾豊
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / 中経出版
- 発売日: 2015/03/10
- メディア: Kindle版
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この本の中で語られていた「ディープラーニング」の仕組みが、
自分の思考癖「抽象化する思考」そのものだったからだ。
今日は、それを書き留めてみる。
ディープラーニングとは?
詳しくは以下のサイトを見てもらうのが一番手っ取り早い。
私の言葉で表すのであれば、
人工知能が機械学習する上で画期的な手法であり、
ディープラーニングを使うことで、人工知能が概念を発見することができるようになる。
抽象化する思考
私の思考癖「抽象化する思考」は過去のブログでまとめたことがある。
私にとって抽象化というのは、
物事の類似・対比・因果から、物事から離れた「隠れた仕組み」を見つけ出すこと。
この「隠れた仕組み」というのが、ディープラーニングでいう「特徴表現」にあたると感じた。
また、その「隠れた仕組み」を発見するプロセスも、ディープラーニングのプロセスそのものだった。
まるで、自分の頭の中を覗き込むような、そんな印象を強烈に感じた。
冒頭の書籍を読んだ後、その衝撃に目がチカチカしたり、
挙動不審になったり、明らかな動作不良を感じ取れた。
仕組みの逆輸入
自分の思考プロセスがディープラーニングのプロセスに似ているのであれば、
ディープラーニングの手法や活用方法を、自分自身の取り扱いや活用に役立てるのではないか。
どういったプロセスで、抽象化されていくのか。
どういったプロセスで、学習していくのか。
知りたい。
ディープラーニングを知ることは、自分を知ることに繋がるかもしれない。
そう、直感した。
ブログ後記
私は想像を超えた衝撃を受けると、無意味に集中してしまうようだ。
どうしようもなく、人工知能やディープラーニングについて、知りたくなってしまう。
こんな感覚は、初めてではあったが、こうアウトプットしてみると、
ただ単に自分探しの1つとして考えているからなのかなと。
一番興味があるのは、自分の脳みその中身なのかもしれない。
以上、たろいもでした。