むじゃき

なんでもかんでもアウトプット 一日一新 抽象化する思考

自分の構成要素について、ひとつの考え方

いつか誰かに話した、自分の構成するモノの考え方について、まとめてみたくなったので、アウトプットします。
たぶん、すごいスピリチュアルな感じになると思いますが、気にせずアウトプットしていきます。

自分の構成要素を図解してみる

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だいたいこんな感じですね。

構成要素を説明してみる

自分の構成要素は、3つあります。
自分と、感情と、肉体。
既存の概念に当てはめるのであれば、おそらく、魂と精神と肉体となるはずです。

自分 (魂)

目的意識をもって、精神や肉体を使うモノです。
目的意識は、表層でも深層でも何かしらもっていると考えています。

そして、感情(精神)と肉体のことが、わりと嫌いです。使いづらいものだと考えています。
ですので、どんなに感情や肉体が傷ついたとしても、自分(魂)は、わりとどうでもよいと考えていることが多いです。

もうひとりの自分というわけでもなく、ロボットのコクピットに乗っている操縦士のような立ち位置です。

感情 (精神)

自分(魂)に使われるモノ、そのいちです。
喜怒哀楽を司どり、自分の内面を定義しています。

感情(精神)が暴れ出すと、自分(魂)にも影響があることが多いです。
客観視に似た冷静な視点で感情を見れるのは、感情も道具であるという思い込みからだと考えています。

感情 (精神)

自分(魂)に使われるモノ、そのにです。
現実に影響を与えることを中心に、自分の外面を定義しています。

感情(精神)と相互に影響を受けるため、単体では使いづらいです。
しかし、無意識化では肉体が単独で動くこともあります。
この場合の無意識は、感情(精神)が無関心な状態なのかもしれません。

この構成を思い込むことのメリット

これが、正解とかではないです。
私は、自分のことをこう捉えているという話ですが、この構成を思い込むことでいくつかのメリットがありました。

「自分のことが嫌い」でも良くなった

昔から、自分のことが嫌いでした。
それはもう好きなところがないくらいに。

ですが、私が嫌いなのは、自分の感情(精神)と肉体なのではないか、と気づく、思い込むことで、自分を肯定的に捉えることができるようになりました。
まだ自信がつくわけではありませんが、自分が嫌いでも良いと思えるのは、とても考え方が自由になりましたね。

人格否定をしないようになった

人格とは何か、という話をしないといけないのですが、どんなにひどいことを言われたとしても、感情の表現方法や肉体の動かし方がダメであること、と認識できるようになりました。
だから、あなたの人格に問題がある、という考え方はまったくなくなりました。

改善する対象が明確になった

問題が発生したときに何がダメだったのか、という話になったとき、自分がダメというように思っていました。
しかし、この構成によって、きちんと原因を特定できるようになり、どこをどう改善すれば良くなるかというのが明確になりました。

まとめ

精神と肉体と魂についての概念は、昔から知られているものです。
であれば、何か自分に応用できる考え方がまだまだありそうな気がしています。

悟りとは、いったいどういう状態なのか。
意思とは、いったいどこから来るものなのか。

はてさて。
先が長そうです。

以上、たろいもでした。