むじゃき

なんでもかんでもアウトプット 一日一新 抽象化する思考

「ボードゲームをやり込む」という楽しさ

ボードゲームの楽しさは一晩では語りつくせないほどある。
多人数でルールを共有する楽しさ。
ゲームから生まれるコミュニケーションの楽しさ。
シチュエーションを擬似体験する楽しさ。
などなど

私が考える、ボードゲームの楽しさの1つに
「1つのボードゲームを遊び続ける(やり込む)」というものがある。

今回は、その「やり込む」にどんな楽しさがあるのか、それをアウトプットしてみたい。

ちなみに、たろいもがやり込んだと自負できるボードゲームは以下の4つである。

やり込みの楽しさ

できなかったことができたときの達成感

同じボードゲームを何回か遊ぶことで、コツがわかってくる。
たとえば、

  • このチャンスは罠だから我慢する。
  • 今、ここを処理すれば将来起こる被害は最小限にできる。
  • この場でこのカードは相対的に強くなっている。
  • やり込みというのは、そのコツをより多く身に付けていく行為。

コツをどんどん身に付けていくと、
やり込み初めにはできなかったことが、
あるとき、ふとできるようになる。

その感覚は、RPGでのレベルアップに近い。
そのような場面では、あのレベルアップ音が流れているのではないかと
錯覚するときもあったくらい。

やり込み前提の読み合い

やり込みをしているメンバーでボードゲームを遊んでいると、
読み合いという盤外での戦いが発生しやすくなる。
たとえば

このカードは比較的強いが、最初から対策を取られると、終盤厳しい戦いになる。
他のプレイヤーは対策を知っているため、このカードを使うと、対策を取られてしまう。
では、先ほどのカードより少し劣るが、今回は他のカードを使おう。
結果、比較的強いカードを誰も取らないままゲームが進んだりする。

初心者・初級者だけで遊ぶのとやり込みをしている人だけで遊ぶのでは、
同じボードゲームでもまったく違うゲーム展開になることが多い。
いつもとは違った新たなボードゲームの一面を発見するのもまた楽しい。

ゲーム製作者の想いを読み解く

ボードゲームをやり込むというのは、
ゲーム製作者が考えたルールやテーマを
読み解いていく作業でもあると考えている。

どうして、このルールがあるのか。
どうして、こんなテーマなのか。
このボードゲームをどのように遊んで欲しいのか。
このボードゲームを通してどんな楽しさを伝えたいのか。
やり込めばやり込むほど、その想いが目に見えてくる。

やり込みの弱点

どんな楽しみ方にも弱点はある。

大人数で楽しいボードゲームは、 少人数で遊んでも楽しいとは限らない。

疑似体験が楽しいボードゲームは、
その体験の生々しさがダメな人にとっては楽しいとは限らない。

どんなボードゲームの楽しさにも合う合わないがある。
やり込みという楽しさにも弱点はある。

ガチ勢とエンジョイ勢問題

  • ガチ勢:やり込みを主目的としてボードゲームを楽しむ傾向のある人
  • エンジョイ勢:遊ぶ雰囲気を主目的としてボードゲームを楽しむ傾向のある人

と私は考えている。
主目的が違うため、ガチ勢とエンジョイ勢の間には摩擦が起きやすい。

ゲームをより理解することに対して一生懸命なガチ勢。
遊ぶ人とのコミュニケーションを大事にするエンジョイ勢。

問題点はどちらが悪いと言うところではなく、
摩擦を起きる場所作りにあると考えている。

正直、摩擦が起きるのはしょうがない。

明確にこの場所ではどんな遊び方が望まれているのかを主催が提示することで、
摩擦をある程度回避することができる。
それでも起きる摩擦に関しては、もう個人レベルの問題になる。

個人的には、そういう楽しさが好きな人もいると理解することくらいで、
ガチ勢とエンジョイ勢はどちらがあってもいい。

まとめ

私の根本的な楽しみ方は、やり込み。
昔から、RPGのレベルは最大値まで上げたくなってしまう。
私は、エンジョイ勢の楽しさもガチ勢の楽しさも経験することができた。
正直、楽しければどちらでもいい。それぞれの楽しさがあるから。
最終的に、ガチ勢エンジョイ勢問題についてアウトプットだけだったのだろうか?
私の主催するボードゲーム会ではちゃんと遊ぶ方向性を提示していきたい。

以上、たろいもでした。