溜まっていたものをアウトプットしてみた、とりあえず
アウトプットするまでもない、形になるかどうかわからないものを停滞させていても仕方がないと気付きました。
自分でアウトプットに制限をかけていたのです。
ですので、今日は、とりあえず、アウトプットしてみます。
Google Keep メモの片隅に置かれたままになっているものたちばかりです。
好きなタイプは残酷
人を好きになることはとても素晴らしいことです。
しかし、好きなタイプという概念は、考えてみると、とても残酷なことなのかもしれません。
たとえば、メガネをかけている人が好きなタイプの人がいるとします。
その人は、人に好意を抱くときにかなりの確率で「メガネをかけている」場合が多いと考えられます。
これをざっくりと捉えると、「メガネをかけている」人であれば、誰に対しても好意を通常時より抱きやすい状態になるということと言えるかもしれません。
つまり、メガネをかけている人であれば、誰でも恋愛対象になりうるのです。
これは、とても極端な捉え方かもしれませんが。
自分が好きになる人は、好きなタイプに当てはめて考えると、誰でも良いのではないか。
そうすると、好きなタイプが明確になっていけばいくほど、人を好きになることが難しくなるのではないか。
そんな疑問を今は考えています。
魂は思考することそのもの
魂と肉体と感情の関係性を以前アウトプットしてみました。
そこから、考えを進み、「魂は考えることそのものなのではないか」という考えに辿り着いています。
思考することは、脳みそ自身の行動ではなく、魂が脳みそを使っている結果ではないだろうか。
感情や精神すべてが、魂が使う道具であることから考えてみると、魂は「なぜそれを使うのか」を担当しているのではないか。
そんな疑問を今は考えています。
私の生きる理由は「存在理由の証明」
ミッションステートメントを書き進めて、3カ月ほど経ちました。
人生のコンセプト
「むじゃきに楽しめないのは、もったいない」
コンセプト自体は変わっていませんが、なぜそう思うのかというところについて考えを掘り下げてみました。
そうすると、一見矛盾するような理由に辿り着きました。
自分が仮に決定する「存在する理由」が合っているかどうかを証明するために生きている
今思えば、とても数学的な発想かもしれません。
私は、むじゃきに楽しむことが生きる理由なのか。
私は、もったいないことをどうにか活かすために生きているのか。
そんな疑問を今は考えています。
まとめ
アウトプットを定期的にしないと、新しく考えたり、インプットしたときに脳みそのキャパシティがオーバーするようです。
最近は、昔の自分では考えられない環境にあるので、嬉しいことにインプットが多すぎます。
だからこそ、大量のインプットに耐えきれるように自分の脳みそはいつでも空っぽにしておかないといけないと感じています。
アウトプットを忘れるにはもったいないですからね。
以上、たろいもでした。